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第一次イゾンツォの戦い [歴史]

第一次イゾンツォの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第一次イゾンツォの戦い(だいいちじイゾンツォのたたかい)とは、第一次世界大戦中のイタリア戦線で、1915年6月23日から7月7日にかけて、イタリアとオーストリア・ハンガリー帝国の間で戦われた会戦のこと。

概要

攻勢をかけたイタリア軍の狙いは、オーストリア軍をイゾンツォ川およびその周囲の山間部に設けられた防御拠点から撤退させることだった。イタリア軍は数的には2対1の優勢を誇っていたものの、オーストリア軍が戦闘に有利な高所に陣取っていたこと、不十分な砲兵の支援射撃の後で攻撃を開始したことからオーストリア軍陣地前縁の鉄条網で攻撃を食い止められ、攻撃は失敗した。 7月初頭、オーストリア軍司令官スヴェトザル・ボロイェヴィッチは2個師団の増援を得て、オーストリア軍の防衛線を突破しようとするイタリア軍の試みを阻止した。

イタリア軍が最終的に得た戦果は僅かであった。すなわち、イゾンツォ川を越えたトルミーノ付近の橋頭堡と、プレッツオ近郊の高地のみであった。


戦争:第一次世界大戦
年月日:1915年6月23日-7月7日
場所:イタリア北東部のイゾンツォ川付近
結果:オーストリア・ハンガリー軍の勝利
交戦勢力
オーストリア・ハンガリー帝国 イタリア王国
指揮官
スヴェトザル・ボロイェヴィッチ、
ゲーザ中将、
ルカツィッヒ・フォン・ゾモローヤ、
ノヴァック・フォン・アリエンティ中将 ルイージ・カドルナ、
エマヌエーレ・フィリベルト、

フルゴーニ大将
戦力
115,000人(8個師団、84個大隊、13個騎兵大隊、火砲356門) 225,000人(18個師団、252個大隊、111個騎兵大隊、火砲700門)
損害
戦死傷者10,000人 戦死傷者16,000人
まず気になるのは、イゾンツォ川とは何か、ということだろう。
イゾンツォ川についてはこちらでまとめてみた。
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